2016年05月12日

熊本城(模型) 加藤清正公  武者返し 


*熊本市の中央,茶臼山にある銀杏城とも呼ばれる熊本城です。

*慶長年間,7年間にわたり戦国大名加藤清正公が築城された名城で,
 今回の大地震でも踏ん張って持ちこたえているお城ですね。



熊本城.JPG



*昨年観光で私は熊本に行き,この目で確かに見ましたの。

*あの熊本城の雄姿を!

*戦国時代のお城が,戦禍に耐え復元されたのを見て,涙が出ましたの。

*いまとなっては、早く復元してほしいと思っています。

*これぞ国宝中の国宝と思いました・・・。




*建築技術は知らないのですが,当時の技術で1本柱で櫓が踏ん張っているのですから,


石垣被害.JPG


 私どもも、ここは踏ん張らなきゃなりませんよね!

 加藤清正公は武将としてだけでなく,建築家としてもすごい人材だったのでしょうか。


*一級建築士という言葉は聞いたことがありますが,

  清正公は,いまでいえば間違いなく特級建築士かしら?

武者返りという石垣を考えるなんて!

*お城通には垂涎の的です・・・・・・。


⇓当分は精巧な熊本城模型で我慢ですね・・・。⇓


posted by shibakken at 08:09| 模型 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月03日

在庫あり  零戦二一型機  山口多聞中将!!!



太平洋戦争における分水嶺となったのは,ミッドウエイ海戦であった.
それまで,大日本帝国海軍も連戦連勝であった・・・・・・.


しかし,1942年6月のミッドウエイ海戦で,帝国海軍は4隻の空母を派遣し,
敵艦隊を戦力的には勝りながら米国海軍に完敗した.

その原因は,海戦戦略のまずさから始まり,
精神的にはこれまでの戦勝気分に酔っていたことの気の緩みや,
味方情報が筒抜けであったことなどと敗れたと言われている.

この負け戦にあって,4隻の空母の内,3隻が撃沈されたのちも,
山口多聞中将のもと最後まで勇猛果敢に敵海軍と戦ったのが,空母「飛龍」であった.

山口中将については,色んな書物でその人物像が紹介されているが,
智将山口多聞(生出寿著 徳間文庫)に詳細が余すところなく書かれている.

いまこの本は絶版のようで,
山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
を以下に紹介します.



ご参考まで.

下の写真は,空母「飛龍」に艦載された零戦二一型機である.
この本を読んで以来,飛龍に搭載された零戦二一型機模型を購入し,
亡き智将を偲んでいいます.





⇓零戦二一型機模型の詳細はショップサイトで⇓

posted by shibakken at 13:57| 模型 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月01日

1/32 零戦52型    実兵器を見て戦争を論じよ!!


8月15日が段々近づいてきた。

いま,国民の多数の反対を無視しつつ,他国と戦争可能な道を開く集団的自衛権が行使できるように,内閣は動いている。

国際紛争解決の手段としての戦争を69年前に放棄したはずだが,またぞろ昔来た道に戻ろうとしている。

人間は69年も経過すると,賢い民族と言われている国民が昔のことを忘れるらしい。

いや,こういうことを進めるリーダーを選ぶのだから本当は賢い民族ではない証であろう。



戦争のむごさを忘れないようにするには,零式艦上戦闘機の模型を見るのも役に立つし,
ビルマの竪琴のDVDを見るのも良い。

戦争の愚かさを示す教科書相当品は,周りにあふれている!

殺し殺されることの悲惨さを,また愚かさを,モノを見て,もう一度自覚したいものだ。

明日という日が,すこしでも希望に満ちた日となるように!

⇓零戦をみて、戦争の裏側まで自覚しよう⇓



⇓戦争体験ノーモアを痛感する「ビルマの竪琴」⇓


posted by shibakken at 23:49| 模型 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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